本気出せばヲタ卒なんていつでもできるし。

社会人ジャニヲタがジャニーズとヲタクに関して勝手に考察しているブログです。

なぜ「浮気」を嫌うのか

私はジャニヲタにも関わらずジャニウェブに契約していない。

自担が連載しているわけでもないので、いいやと思って登録していない。

昨日夜中に色々な方のブログを漁っていたのだが、その時に初めてジャニーズWEST中間淳太くんの連載が話題になっていたことを知った。

「あー!淳太くんの『浮気毛嫌い』まだ健在なんだなー!」と思って、私は嬉しくなったのだが、該当担の方々にとっては物議を醸したようだった。

 

私が関西Jr.のファンだった頃から淳太くんはいつも「浮気はやめて」と言っていた。

雑誌で「浮気する人は素焼きにします」と発言していたことはあまりにも有名である。

他の方のブログを読んでいると「これはキャラだから」って言っている方もいたのだが、関西Jr.の頃から見ていた私からすると結構ガチで言っていたように思う(笑)。

松竹座でのコンサートのMCとかでも普通のトーンで「俺のうちわ持っている子がいる!と思って、その子のこと見ると違う人を見てたりする。そういうのはやめて欲しい」とか言ってた気がする。

昔話題になっていたエピソードがあって、松竹座でのコンサートの時あるファンが片面が淳太くん、もう片面が他のJr.が書いてあるいわゆる★リバうちわを使っていた。

リバだと気づいた淳太くんは、その子が淳太くんの名前ではない面を見せていた時に、笑顔で「裏返せ」とその子に合図し「淳太」にさせたという話だ。

その話を聞いたヲタクたちは「淳太くんこえーwwww」ってなったのだが、彼にとってはやはりリバは許せないらしかった。

 

私は以前の「フォト一揆

yamjr.hatenadiary.j

のブログにも書いたが、元々掛け持ちには何の抵抗もなかったが、関西Jr.のファンの自担をデビューさせようという気持ちから掛け持ちを嫌う風潮や、淳太くんのように本人たちが「浮気」を許さない姿勢だったこともあって「かけもち」はしないスタンスに変わった。

「浮気」とは何か、「かけもち」とは何か、「担当」とは何か、という議論になるのだが、この「かけもち」と「担当」についてはいつかこのブログで語りたいと思っているものの、ジャニヲタ的には根が深いものなので片手間でかける議題ではないと思っている。

なので、今日はそこまで深いところには手を出さないでおこうと思っているが、「浮気」についてもなかなか人により見解が分かれる話だと思う。

私が思うに淳太くんが言っている「浮気」とは、自分のファンの子が自分以外の人に沸いていることであろう。

それはテレビや雑誌を見て沸いているくらいならばいいのか、他の人のためにコンサートなどの現場に行って初めて「浮気」と認定されるのかは淳太くんと腹を割って話してみないとわからないが、ざっくりと言えばそういうことだろうと思う。

しかしながら、本人にとっては自分のファンが自分を好きと言ってくれてCDを買ってくれたりコンサートに来てくれれば、他の人に沸いていたとしても関係ないような気もする。

言い方は悪いが、自分のためにお金を落としてくれさえすればその人があと誰に沸こうと関係ない、というスタンスが普通なのではないか。

もちろんそういうスタンスのアイドルもいるだろうし、別に特に「掛け持ち」について何も思わない人も多いだろう。

ではなぜ淳太くんは「浮気」を嫌うのか。

そもそも淳太くん一人に対して、ファンは何万人といるわけだから、淳太くんにとっては「1対大勢」の関係である。

にも関わらず、何で自分のファンには対淳太くん一人であることを強要するのか。

「不公平ではないか!」と冷静になると思うのだけれど、中間淳太という人物はきっと実際には「対大勢のファン」ではあるものの、「ファン」を塊で見ているわけではなく一人ひとりをファンとして認識しているのだろうなぁと思う。

松竹座という小さなハコで長く関西ジャニーズJr.として頑張ってきた彼にとっては、ファン一人ひとりの顔を見ながら自分のファンと対峙してきた。

だからこそ、自分のうちわを持っている子が他のJr.を見ていたりファンサを求めていたりする姿にも気付くし、それに対していちいち感情を持ってきたのだろうと思う。

デビューしてもなおその気持ちを持ち続けていることに嬉しく思ったし、淳太くんのファンの方々は淳太くんのそのような気持ちを汲んであげたうえでその気持ちを素直に受け取ればいいのではないかと思う。

どのようなスタンスでファンになるかはその人の自由であるし、誰かに強制されるものではない。

上記で述べたことは淳太くんに直接聞いた話でもなく単にヲタク一人の意見であるが、ただ自分の大好きな人がどのような思いでこんな発言をしたのかなぁと考えることは、ファンとしては決して無駄な時間ではないのではないだろうか。

 

 

ヲタ活の比重のかけ方について

とても久しぶりのエントリーになってしまった・・・

9月は現場があったため忙しくてブログの存在も忘れていた・・・

そして終わった今は抜け殻のようになっていて何もやる気が起きず・・・

ぬるくやっているブログなので大目に見ていただければと思います。。

 

さて、先述の通り9月は1ヶ月現場があったためどっぷりそちらに通っていた。

私は一点集中型の性格で、やると決めたらとことん!なので、通うとなったら限界まで公演に入りたい。

今回に関しては現場に通うにあたっての問題は1つのみ。

「時間」だ。

体力もお金も頑張ればなんとかなるので、あとは仕事との兼ね合いでどう時間を作るかが問題だった。

当たり前だけれども社会人なので仕事がある。

本当は全ステしたいのだが、平日だとどうしても開演時間に間に合わない。

悔しいけれど諦めざるをえなかった。

その代わり、土日祝日は問題なくいけるし初日と千秋楽、あとプラスαで有給を使って平日は休んで公演に入ることにした(だいぶ社会人失格だが)。

それこそ私の限界まで費やせる全ての私の時間をこの現場につぎこむことにしたのだ。

「9月は忙しいから」といって、他の予定は全く入れないことにした(笑)。

そのためにはもちろん振込みも欠かせない。何十万ものお金がATMに吸い込まれていった・・・

そのようにして私の9月は現場一色だった。

体力的には非常にしんどかったけれど死ぬほど楽しい1ヶ月だった。

 

このように私は全ての力を9月の現場に費やしたわけだけども、当たり前だが同じジャニヲタといえどヲタ活の比重のかけ方は人それぞれだ。

1公演しか行かない人もいるだろうし10公演行くとか、いやいや全ステしますと言う人もいる。

これはヲタ活にかける熱量とお金の差だろうと思う。

全ステすれば全部定価でも30万ほどかかるし、高校生や大学生が30万捻出するのはとてもハードルが高い。

社会人と言えども1ヶ月に30万を使うのはなかなか厳しいだろう。

そもそもジャニーズは趣味なのでお金があっても30万かけるつもりはありませんっていう人も多いと思う。

 

私は期間中友達と話しててはっとしたことがあった。

「明日は用事あるから入れないんだよねー」と友達が言った。

一般的にどうしても動かせない用事というのはまぁ冠婚葬祭系のものくらいで、あとの用事はなんとかやりくりすれば動かせる案件が多い。

私は通うために全ての用事を動かしたり入れないようにしたけど、その友達の用事がなんなのかは詳しく聞いていないのだが、ヲタ活を最優先事項に置いてないのだろうと思った。

その時、私は全ての用事を後回しにしてヲタ活を最優先事項に置いている時点で、もはやヲタクをするために生きていて、そのために仕事もしているんだなと実感した。

ヲタ活の比重100%である。

100%ってことはその他のことは手に付けられないし、後回しにしているということで、まともな生活は送れていないのではないか。

「まともってなんだ?」「お前はまともなのか?」みたいな言葉が頭の中をかけめぐるのだが、ジャニヲタをしていると度々「このままでいいのか」という不安に駆られる。

このままでいいはずはないのだけれど、だからといってスパっと止められるほどの勇気と気合はないし、止めたところで他に何か楽しいことがあるのだろうかと言う不安にすら駆られる。

自分的には本当は30%くらいに留めるのが理想で、どうしたらペース配分を変えられるかと長年考えているのだが、それには他に何か熱中するものを見つけるしかないというのが結論である。

それが他のヲタク事であることは単に力が分散されるだけであまり望ましくはないので、例えばダイビングとかアクティブな趣味だったり英会話とか知的な趣味だったり、もっとリア充的な何かを欲しているのだが全くそれが見つからない。

結局はヲタクが楽しくて何年もその生活をしてしまっている・・・

現場に通うことはもちろん楽しいのだが、それをネタに友達とわいわいやっているのもとっても楽しい。

人生は楽しくないと生きている意味がないので、非常に結構なことなのだが、やはりこれが何年もこの先続くとなーみたいな心配も生まれてくるわけで。

自分でどうにかできないのなら、強制的に海外に飛ばされたりしないかなって願う今日この頃である・・・

 

アイドルの必要要素とは

どっぷりジャニヲタをしていると、「必ずしもアイドルは顔だけではない」ということを痛感する。

まぁ一般的には「人は顔じゃないよね!」っていうしごく全うだがどこか偽善的なコメントをよく耳にするのだが、アイドル界もまた同様である。

実際に付き合ったり結婚する際はもちろん顔がいいだけでは生活できないので、それ以外の様々な要素も必要になってくる。

しかし、アイドルは現実にどうこうなるわけではないので、一方的にアイドルにキャーキャー言うならカッコイイ方がいいはずだし、顔は重要な要素を持つはずだが、案外そうでもないというのが意外なところだ。

逆に「顔ファン」というのは非常にシンプルかつ絶対的強さがある。

なにせそのアイドルの「顔」が好きなわけだから、その人の人柄やダンススキル、トークスキルなどがどうであれファンになってくれる。

顔はそれほど大きく変わることはないので、その顔が本当に好きであればすぐ降りることはないだろう。

しかしながら純粋な「顔ファン」というのはなかなかいない。

アイドルと言えど、テレビやメディアに出て多少なりともその人の人となりが垣間見えることがあるし、もちろんコンサートなどに行けばダンスや歌のレベルがどれくらいかなどというパフォーマンス力を実際に見ることになる。

そういう様々な要素やタイミングが重なり、「自担」に昇格する。

現場命の生粋のJr.担などはもはや顔だけで好きになるのではなく違う要素で好きになる人が多い。

よく聞くのは「○○くんのダンスが好き」とか「自己プロデュース力が高いから好き」とか。

まぁ実際にはこれと言って明確な理由もない場合も多く、「コンサートで○○くんがバックで踊っているのを見て一気におちた」とかそういう人のほうが多い気がする。

生粋のJr.担というのはそういう人が多いので、必ずしも顔がカッコイイ人がファンが多くて、そこまでカッコよくない人がファンは少ないという法則は全く適用されない。

アイドルというのは顔だけで勝負できるものではなく、むしろ他の要素で十分勝負できる場なのだ。

全然顔がかっこよくない野球選手が活躍しているとなぜかカッコよく見えてしまう現象と同じく、何かに秀でている人はカッコよく見えるものである。

ダンスもしかり歌もしかり演技もしかり、ジャニーズには様々な分野で活躍する場がある。

それを突き詰めて行けばそれをファンが見てくれていて、それなりにファンがついてきてくれるのがジャニーズのいいところな気がする。

特にダンススキルが高かったり先輩のバックとしての仕事を確実にこなせる職人肌的なJr.が好きなヲタクというのは、それこそ顔だけが好きとかではなく総合的判断によりそのJr.を好きになっている、それなりに目の肥えたJr.担の方だとお見受けする。

そのような方は現実的かつ厳しいファンが多いように思う。

顔ファンなら顔がカッコよければ沸けるし、その人がダンスが下手だろうが歌が下手だろうがトークがつまらないだろうが関係ない。

しかしパフォーマンスに魅力を感じ応援している方にとっては、少しでもそのパフォーマンスに隙があるとそれが気になる。

手を抜いているとか無難にやり過ごしているとかはすぐ分かるし、まじめに取り組んでいないなんてもってのほかである。

そういう方々の意見は非常に建設的だし現実的だ。

「あのシーンであのアドリブを入れたのはダメだ。シリアスなシーンなのだからあそこでは言うべきでなかった」とか「あの曲で全然踊れてなかった。リハの時間がなかったのかもしれないがプロなんだからそこは仕上げてくるべきだ」とかもっともな意見が飛び交う。

「○○くんカッコイイ!!!!」だけで終わるファンよりも俄然めんどくさいのだ。

しかしファン側には、最高のパフォーマンスを見る対価としてお金を払っている自覚と、自担により売れて欲しいという応援する気持ちに溢れているので当然求めるものが高くなる。

その気持ちに応えて彼らはさらなる高みを目指して努力しパフォーマンスレベルを上げて行くという相乗効果があるように思う。

 

「アイドル」と言えど、顔がカッコイイ人が手を振って笑顔を振りまいていればよい時代は終わり、様々なスキルでファンを魅了しなければならない時代である。

顔さえカッコよければアイドルになれるわけでもないし、ひたすらパフォーマンス力だけをあげてればアイドルになれるわけでもない。

「アイドル」の多様性が認められる時代だからこそ、様々な分野に挑戦し各分野でそれなりの成果をあげなくてはならない。

それはもちろん大変だと思うけれど、日本史が苦手でも他の教科で稼げば大学合格ができるように、総合力で勝負ができるということだ。

ファン側から見ても、ただカッコイイ人を見て楽しむだけではなく、様々な分野でオールマイティーに活躍するゼネラリストタイプや1つをとことん追及するスペシャリストタイプなど多くのタイプの中から選ぶことができるのだ。

 

「自担がカッコイイ」

そんなのは当たり前だ。

ただそれがどのような意味で「カッコイイ」のかは人によって様々である。

 

多ステは悪か

嵐など大人気のチケットを巡っては、よく

「チケット1枚も取れない人もいるのだから、何枚も取れた人は譲るべき」

とか

「1公演も行けない人がいる中、多ステするなんて!」

というツイを見かけるが、果たしてこの論理は正しいのか。

 

気持ちはよく分かる。

「自分は1回も公演に行けないのに、なぜ何回も入る人がいるのか」

と不公平感を感じてしまう。

とても楽しみにしていた公演に行けない悔しさは計り知れない。

ただ、多ステをしている人は総じてそれなりの努力(お金と手間という点で)をしている。

嵐クラスにもなるとファンクラブに入会してコンサートを申し込んでも、

だいたい2~3年に1回しか当たらないと聞いている。

当たる確率を上げるためには、申込み数を増やすしかない。

親や兄弟、親戚、友達にファンクラブに入会してもらい、コンサートを申し込んでもらう。

1個申し込むよりも、10個申し込んだほうが当たる確率は上がるだろう。

もちろんファンクラブに入会および継続するには年間5000円(更新は4000円)かかる。

10個のファンクラブ名義を作るには5000×10=50,000円 のお金がかかる。

また自分の趣味のために他人の住所を借りるということはそれなりに迷惑がかかる。

簡易書留で送られるチケットを受け取ってもらい、自分に渡すないしは郵送してもらわなければならない。

人によっては迷惑料として多少の心遣いを渡したり、定期的に食事をごちそうしたりしている方もおられるかもしれない。

もちろんそのようにして借りた名義で申し込みもたくさんしなければならないので、振込額が何十万になるケースもあるだろう。

現場が発表されれば、それだけまとまった金額を用意できるよう日ごろから貯金されておられるのではないか。

多くの人がそうして当てたチケットで、多ステ(同じ公演に何回も入ること)しているのだろう。

 

だから、自分が外れたからと言って「何枚も当たったのならチケット1枚くらいください」なんて安易に言えたものじゃない。

それなりにお金と手間がかかっているのだから。

 

ここで誤解のないように言っておくと、ジャニーズのファンクラブ規約には、基本的に取ったチケットは自分が入るために使えとうたっている。

なので、前述のようなやり方を推奨しているわけでも、肯定しているわけでもない。

ただ、多ステのためでなくても1回でも行くためにファンクラブに何個も入っている人は絶対数存在する。

事務所がファンクラブ会費から得る収入もそれなりに大きなウエイトを占めると考えられるため、ここは事務所も黙認しているのだろう。

そもそも仮に1人1公演の原則を徹底したとすると、よくテレビなどで見る「全国ツアー10箇所28公演40万人動員!」みたいな触れ込みも達成できないだろう。

例えばデビューしてもうすぐ4年経つSexyZoneの2015年7月現在の会員数は10万7000人ほどらしい。

この中には既に期限切れのものも含まれるので、仮に7%が期限切れと見込むと有効会員は99,510人となる。

また、有効会員全員が今回のツアーを申し込んだわけではないと思われ、仮に8割が申し込んだとすると8万人弱となる。

今年の春ツアーの動員数は約14万人強と見込まれるので、申込み会員より6万人以上多く観客が入っていることになる。

もちろん複数枚申し込んで、ファンクラブに入会していないお友達を誘ったパターンもあるだろう。

しかしながら6万人全員がそうとも考えられず、恐らく2回以上入っている人が含まれると考えるのが妥当だろう。

 

「行きたい」という人が全員1度は行けるコンサートや舞台になればいいとは思うし、そうあるべきだと思うのだけど、逆に公演数が多すぎたりキャパが広すぎることで空席が出るのは事務所的にも出演者的にもよろしくはない。

そのあたりのあんばいが非常に難しいところではあるけど、嵐くらいに人気になればもうどのスタジアムでやっても人は溢れるだろうし、公演数増やしたところでまた2回以上いく人がさらに回数を増やすだけかもしれない。

 

「アイドル」というのは、「好き」とか「憧れ」などという人間の感情を基に成り立っているビジネスであるから、全てが道義や理性通りになる世界ではないと思っている。

感情が絡むとなかなか一辺倒にはいかない。

「自担を何度でも見たい!!」と思うのは自然なことだし、だからこそ多ステしたいという人も現れる。

自分でも「私は1枚もチケットが当たらないのに、周りは何枚も当たっているなんてなんで!!!」と思うことだってあるが、それを抗議するあてもなくもう仕方ないのだ。

世の中そう甘くはないし、平等ではない・・・

 

「もっと早くにファンになってたらなー」っていう感情について

誰だって最初は「新規」である。

 

入所当時からずっとファンですという人はほとんどおらず、多くの人は何かのきっかけであとから今の自担を好きになったはずだ。

大勢いるジャニーズの中から「この人!」と光るものがあって、自担に据え置くことに決める。

自担を「担当」にすることに決めた人は、まずはその人を調べ始める。

今まで興味がなかったゆえ知らなかった情報やこれまで出演したコンサートや舞台、テレビ番組などの映像を漁り始める。

その中でとても素晴らしい映像があったりすると大体の人が

「あー!!この時からファンだったらなー!もっと早くファンになっていれば!」

と一度は思う。

私も毎回1度はそう思う。

「このコンサート最高じゃん!行きたかったなー!もっと早くファンになってれば!!」と。

しかしながら、きっとその人を好きになるのはタイミングとして「今」だったのだと思う。

しかもその人の存在を前から知っていながらファンになっていなかったのならなおさら、「今」でしかファンになれなかったのだ。

自分も自分で色々な人を見てきて色々な経験をしたからこそ、「今」その彼が自分の心に響いてきたのだ。

いつもそう思うことにして、過去を後悔することはしないようにしている。

ましてや「もっと早く降りてればなー」なんて絶対に思ってはいけない。

元担のファンだった時も今と同じくらい熱量を持って「好き」だったはずだから。

元担を好きだった時代があったからこそ、きっと今自担に出会えてるのだから。

 

だから、これはヲタ活に限った話ではないが「今」を大事にすることはとても重要だと思う。

どうあがいても後悔しても自分には「今」しかない。

今そこに立っている自担の輝く姿を見ることが全てである。

だからこそ、なるべく自担の現場は時間とお金が許す限りは行きたいなと思っている。

もちろん、どうしてもお金がないとか時間がないとかで行きたい公演に行けないこともあるだろう。

とても悔しいし悲しいけれど、すぐそれは過去として捉えてまた前を向いて「今」を生きる。

 

過去は過去として認め、今を今として生きる。

これがジャニヲタには必要なのだと私は思っている。

 

 

 

(割と壮大な終わり方・・・)

フォト一揆から一夜明けて

昨日8月26日は夏の松竹座千秋楽だったとツイッターを見て知った。

今年も熱いフォト一揆が繰り広げられている様子がTLから伝わり、

「あー懐かしいなー。みんな頑張ってるなー。」など夏の風物詩的な感覚で眺めていたのだが、

フォト一揆に関して自分のブログを紹介して頂いていた方がいたようで一気にアクセス数がとんでもないことになっていて驚いた。

こんなくだらないブログを多くの方に読んで頂いたようで恐縮しきりである・・・

こっちも軽い気持ちで書いているので、読んで頂いている方も軽い気持ちで流して頂ければと思う。

 

さて、昨日フォト一揆があそこまでツイッター上で話題になった背景には、あるツイートの存在が一因になっていたようだ。

 

「フォト一揆に参戦したため、手元に300セットほどフォトセットがあります!お譲り希望の方はご連絡ください」

 

これを見た方々が、「私たちの時代はフォト一揆で手にしたフォトを売るなんてことはありえなかった!ただでみんなに配るもんだろうが!!!」ってことになって、お怒りであった。

私もそのツイートを見て驚いた一人だ。

前回の記事

yamjr.hatenadiary.jp

でも書いたように、フォト一揆とは「自担にわずかながらの収入を与えるため、および自担の人気を事務所に知らしめるため」に行われるものである。

それは「無償の愛」どころかこちら側の一方的な「有償の愛」である。

当たり前ながらフォト一揆に参加するにはある程度のお金が必要で、かつそれにかかるお金は自担のために費やしたものなので回収を目的としない。

「自分は自担のためにこれだけお金を使ったのだ」とむしろ清々しい気持ちになり、それと共に手元に大量のフォトセットが残る。

「フォト一揆」に参加する人々には、さらにここからまだ重要な役割が残っているのだ。

手元にある大量のフォトセットを「自担をどうぞよろしくお願いいたします」とばかりに、まるで選挙活動のように無料で松竹座で配り歩く。

50セット100セットを配り歩く中で、たった一人でもその写真を見て「あっ、カッコイイな」と思ってファンになってくれるかもしれない。

ファンになってくれなくても、自担のフォトセットを色々な人の目に触れさせることで興味を持ってくれるかもしれない。

「自担のために何かしたい」と考える関西担が、フォトセットを使って余すことなく自担に貢献する、それが「フォト一揆」なのである。

 

だからこそ、前述のように「フォト一揆で得たフォトを定価で譲る」というのは多くの人にとって違和感なのである。

もちろんフォト一揆に巻き込まれ、欲しかったのに買えない人もいたかもしれない。

そのような人には10セットでも20セットでもあげて、「あなたも周りのお友達に配ってください」と言えばいいのだ。

それがフォト一揆に本気で参加する人の心意気ってものである。

 

「フォト一揆」に関して色々な意見があるのは百も承知だし、自分のお金で買ったフォトセットをどう使うかはその人の勝手である。

しかしながら、例えそれが自己満であろうと「フォト一揆」に参加する関西Jr.のファン心理にはもっともっと深いものがあるのだと知って頂ければ幸いである。

ヲタクを公言するかしないか、それが問題である。

一般的に「ヲタク」というと、やはり陽より陰のイメージである。

なので、周りに引かれることを恐れて「ヲタクである」ということを隠して

隠れキリシタンみたいな状況で生きている人もいる。

私は前の職場では、オープンにしていた。

そもそもどっぷりのヲタクではなかったのでコンサートに行くみたいな感じで

軽く周りにも言ってたのだけど、

そのうちどっぷりの様相を呈してきても、まぁそのままヲタクであると言い続けてきた。

元々女性が多い職場で、ジャニヲタもちらほらいたしジャニヲタではなくても違うジャンルのヲタクも多かった。

オープンにしたことで「○○さんが今好きな人ってどの人?」とか興味を持ってもらったこともあるし、何より周りが私のヲタ活に協力して頂いて、休みも快く許してくれたことが大きい。

「この人はジャニーズが全てなんだ」というのが周りに伝わっているので、結構全力でサポートしてもらえた。

忙しい時期に舞台が1ヶ月かぶったことがあった。

数日ならば休みをもらえるが、1ヶ月となるとそりゃ全部休むのは無理な話だった。

そこであきらめればいいのだが、いかんせん全力な私は、まず当初予定していた家族との海外旅行をキャンセルし、定時ダッシュして遅れてでも毎日行くことを選択した。

その時期忙しかったのでみんな7時くらいまでは残業していたが、「10月になったら頑張るので!」と言ってみんなに許してもらって、毎日定時ダッシュして駅から劇場まで全力で走り、18時開演の舞台にいつも18時25分頃に着席していた。

そこまでして毎日頑張っていたのも今となってはちょっと意味分からないが、当時は関西Jr.が東京で見れるということは快挙だったので、絶対に逃したくないと思っていた。

 

しかし、次の会社ではジャニヲタであることを隠すことにした。

隠すということは、周りにどう思われるかが心配という心理から来ているものである。

心のどこかでヲタクであることの後ろめたさみたいなのがあるのだと思う。

 

ヲタクを辞書で引くと

 

「ある事に過度に熱中していること。また、熱中している人。」

 

 

と出てくる。((デジタル大辞泉 より)

(ちなみに余談だが、今ネットで「オタク」と検索したら予測検索みたいなのに

「オタク きもい」って出てきてへこんだ)

この「過度」っていうところがマイナスのイメージをもたらす。

つまり「やりすぎだよ・・・」ってことである。

どこら辺が行きすぎなのかという点は人それぞれなのだろうが、

「同じ公演に10回20回も入る」

「コンサートのために地方にも行く」

「1公演に5万も10万も積む」

「CDを何枚も買い込む」

「そもそもアイドルにお金をかけるなんて信じられない」

 

みたいなことが、全て一般の方々には理解できないようである。

私は基本的に一般に理解されようなんて思っていない。

自分でも「やりすぎかな」なんて十分わかっているし、周りの人にそう思われるのも無理はないと思っている。

ただ元々友達だった子たちにとって、私がジャニヲタかどうかで関係が崩れるものではないので隠す必要もない。

ジャニヲタである私という人物をまるっと受け入れてくれている(と思っている)。

しかしながら、それが会社となると話は別である。

全てはお金が絡むビジネスの場であるため、友達とは違うので相手がどのようなプライベートを持っているかということは全く関係ないのであるが、一人ひとりに対して深いところまで知らないことが多いゆえ1つの要素がその人自体の印象を変えてしまうことが大いにある。

友達であれば色々な面を見てくれて人間性を感じ取ってくれるが、仕事の場だとそんな時間もないので、この人はジャニヲタなんだとわかった時点で結構なインパクトを与えてしまい、「陰」の印象を与えかねない。

もちろん「ヲタク」というだけで全ての人間性を判断するような視野の狭い人間はあまりいないとは思うが、それなりのインパクトは与えるであろう。

であれば、あえて職場でヲタクを公言しなくてもいいのではないかと思って現在は隠れキリシタン状態である。

ヲタクを公言して良いことは、周りに理解を求められれば色々と協力してくれることである。

逆に言えば、ヲタクを公言していないと休む時の言い訳に苦慮する。

半年に1回くらいであればまぁ適当な理由をつけて休めるが、これが1ヶ月に何日もとかなると「旅行?」とか聞かれるのだが、もし遠征なら「旅行です」と答えてお土産を買ってくることができるが、現場が近場だったりするとお土産を買ってくることさえできない・・・

しかしながら、ヲタクを公言したとしても周りから理解を得られなければまだ隠している方がやりやすいとは思うので、状況によって判断することが必要だろう。

 

とはいえ、「ヲタクであること」は決して悪いことではないし、特にジャニヲタは意外に世間にはびこっているので案外公言したら「実は私も・・・」という人もいるかもしれない。

自分にとってヲタ活がしやすいようにするのが一番であろう。

 

そう考えながらも、今日も私は隠れジャニヲタリアンとしてひっそりとデスクに座っている。